Artist Self Interview Vol.1 – Formless Root, Rootless Forms
まだ言葉になっていないもの、まだ“ステートメント”と呼ぶには早いもの。そんな断片のような感触が、自分のなかにずっと残ってきた気がします。
これから書いていくセルフインタビューは、その断片を少しずつ言葉にしていく試みです。過去を語ることで、今の制作の輪郭が、かすかに見えてくるかもしれない。けれどこれは、明確な答えを出すためのものではありません。むしろ、まだ名前のついていない感覚を、そのままのかたちで残しておきたいと思っています。
福岡県で生まれ、九州地方で育ちました。幼少期の引っ越しはほとんど記憶にはないのですが、親の仕事の都合で九州地方を何度か引っ越しを経験して育ったみたいです。小学生の頃、東京に引っ越しました。東京への引越しは、当時はまだ子供だったので、「新しい街に来た」という感覚よりも、「なんとなく連れてこられた」という感覚のほうが強かった気がします。
それでも、九州から東京への環境の変化は強い印象を残し、記憶に残りました。東京のお店の多さや人の多さ、複雑な路線図を初めて目にしたときの驚きは今でも鮮明に覚えています。福岡と東京では、景色も空気もまったく違っていて、その落差は今でもはっきりと覚えています。ただ、その体験がそのまま作品制作につながったというわけではありません。また、学生時代は、美術や写真に強く関心があったというわけでもなく、でもふとした瞬間に、目にしたものの印象が妙に残る、ということはありました。
近所のコンビニで偶然見かけたKeith Haringのバッジや、雑誌の表紙に載っていたAndy Warholの作品に、なぜかとても強く惹かれた記憶があります。意味はわからなかったけれど、なぜか強く惹かれていました。そう感じて、お小遣いでバッジを買ったことを覚えています。まだ「アート」として意識する前に、単純にビジュアルとして強く心に残っていたのだと思います。今思えば、それが最初に“視覚的なものに惹かれた”瞬間だったのかもしれません。
引っ越しの経験は、自分にとって大きかったのかもしれません。『ここが自分の居場所なのか分からない』という感覚が、そのままずっと続いてる気がします。また引っ越すかもしれない、どこにも完全に根を下ろせない感覚というか……。作品をつくるときに直接それをテーマにしているわけではないですが、ものごとをはっきりと区切らなくていい感覚、曖昧さや境界に自然と目が行ってしまう自分の視点は、そういう経験が少しは影響しているのかもしれないと考えたこともあります。
大学に入ってからの数年間は、何をしたいのか、何に向いているのかを模索していた時期でした。特別に美術や写真に進みたいという確信があったわけではありませんが、どこかで、なにかをつくることや、見え方そのものに関心があったように思います。ただ、具体的に何をしたいのかはまったくわからなくて、当時はまだ、インターネットでなんでも調べられるような時代ではありませんでした。情報がすぐに手に入るわけではなかった分、いろいろな本を読んだり、人と話したり、映画を観たり、手探りで過ごしていました。「自分が何者で、何を見つめているのか」を知りたくて、静かに焦っていたような気がします。
大学を卒業する頃は、いわゆる就職氷河期の真っ只中で、経済状況もあまり良くありませんでした。自分の中でも「これだ」という方向性が定まっていたわけではなかったので、就職はせずに映画の専門学校に進むことにしました。どちらかといえば、進んだというよりも、「まだ探していた」というほうが正確かもしれません。この頃も、はっきりした答えは持っていなかったけれど、何かを選びながら、確かめながら、前に進んでいくような感覚でした。
専門学校では、映像を撮影できる高価なデジタルカメラを生徒に貸し出すシステムがあり、それを仲間たちと利用して、自主制作を行っていました。そうした中で、カメラは自然と身近な存在になっていきました。授業のカリキュラムには無かったのですが、動画編集のためにパソコンを購入し、タイトルやスタッフクレジットを自分でつくるために、PhotoshopやIllustratorも独学で学びました。画面のなかで何かがかたちになる感覚が嬉しかったのを覚えています。自ら進んでものをつくる喜びを感じ始めたのは、この頃だったように思います。
映像をつくる中で、次第に「止まっている画」にも興味が向かうようになっていきました。学校卒業後、一眼レフカメラを買って撮影を始めました。撮影を始めたばかりの頃は、何を撮っても新鮮で、ただ撮ること自体が楽しかったのを覚えています。友人と東京の古い街並みを巡りながら撮影したり、鎌倉まで足を伸ばして海を撮ったり。とにかく、写真を撮ることそのものを楽しんでいました。
この頃はまだ、「作品をつくる」という意識はほとんどなくて、純粋にカメラを持って出かけるのが楽しかったんです。当時はまだフィルムの時代で、旅行のときには大きなカメラを持って移動していたので、重くて大変だった記憶があります。でも、「作品をつくる」というよりは、印象的な光や影、そして目を引く被写体を探すことが自然な行為だったと思います。
しばらくすると、不思議と、東京の自宅から離れれば離れるほど、いい写真が撮れるような気がしてきました。光や影の美しさだけじゃなくて、「移動すること自体」が大事なんじゃないかと、次第に感じるようになっていって。きっと、知らない場所では自然と目が新しくなって、状況を丁寧に観察できるからなんだと思います。
ところが、スマートフォンやSNSが普及し、無数の写真が身近にあふれるようになると、「ただ綺麗な写真を撮る」ということに疑問を感じるようになりました。次第に「写真そのものの意味や価値とは何か?」を考えるようになったのです。
同時に「移動しなければいい写真は撮れない」という考えに縛られていることにも違和感を覚えはじめました。「もっと移動しなければ」「知らない場所で撮らなければ」と、行動や撮影スタイルが限定されているような違和感が少しずつ膨らんでいったのです。このあたりから、写真との向き合い方が大きく変わりはじめたと思います。
「撮ることが楽しい」という純粋な衝動から始まった写真との関わりは、やがて少しずつ変化の兆しを見せはじめました。日々のなかで撮ること、見ることの密度が変わってくるにつれ、単なる記録ではなく、“像”としての在り方や、その背後にある感覚に意識が向かうようになっていったのだと思います。
その頃から、撮影することが次第に楽しくなくなっていきました。どれだけ撮っても満足できず、どこか物足りなさが残る。写真としては美しく成立していても、「何かが違う」と感じてしまう。そんな感覚が続き、撮影の機会も次第に減っていきました。
撮影の経験を重ねれば、技術も上がって、もっと楽しめるようになると想像していました。でも、現実は逆でした。表面的には完成していても、自分の表現には感じられず、写真の意味や価値を見いだせない。そうした不全感や違和感が蓄積していきました。
旅行先の風景や、印象的な被写体に対してシャッターを切る習慣は続いていましたが、深いところでは満足できない時間が長く続いていたように思います。そして2016年頃、ついに撮影することそのものに意味を感じられなくなり、一度、撮るという行為自体を中断しました。
撮影をやめたあとの時間は、正直なところ、苦しさばかりが残るような時期でした。何かを表現したいという気持ちはたしかにあったはずなのに、カメラを手に取る気にはなれなくて、自分にとって“見る”という行為そのものが、いったい何なのかがわからなくなっていた気がします。けれど同時に、完全に何かが途切れてしまったわけでもなく、心のどこかには「もう一度見てみたい」という小さな気持ちが、静かに残っていたのだと思います。
そんな気持ちに導かれるようにして、美術館に足を運んだり、西洋美術にまつわる本を少しずつ手に取ったりしていました。過去の作品を通してその時代の感覚や思考に触れたり、絵画や彫刻の歴史について理解を深めることで、自分の考えの幅が少しずつ広がっていくのを実感しました。目に見えない部分で、思考や感覚の輪郭が静かに変化していったように思います。
同じころ、鉛筆を手にして対象をじっと見つめ、少しずつ形や明暗を捉えていくような時間をよく持っていました。石や布の質感、光の方向、かすかな凹凸……そうしたものに集中することは、自分の視覚感覚を静かに鍛え直すような行為だったと思います。
写真を撮影する時はカメラのファインダーを覗いて、構図を決め、被写体をしっかりと見ているつもりでいたけれど、絵の場合は違いました。いざ紙の上で一点一点を写しとろうとすると、どれほど“見えていなかった”のかに気づかされる場面が何度もありました。ただ「描く」だけではなく、「どう見えているのか」「なぜそう見えるのか」を問い直すような感覚があり、視ることの精度や緊張感に向き合い続ける、ある種の再訓練のようでもありました。
今思えば、あの時間は、ただ止まっていたのではなく、“視覚”の深さや脆さに向き合うために、どうしても必要だった遠回りだったのかもしれません。
撮影を中断した2016年以降の数年間は、正直なところ仕事に追われる日々で、制作に気持ちを向ける余裕はほとんどなかったように思います。
それでも、世界が一度立ち止まったような時期がありました。2020年4月7日に東京でも発出された新型コロナウイルス対策に関する「緊急事態宣言」が大きなキッカケになりました。周囲の動きがゆるやかになり、自分の時間がふいに生まれたことで、長らく見過ごしていた心の奥に、静かに耳を澄ますような感覚が戻ってきました。そこであらためて、「視ること」や「表現すること」にもう一度向き合いたいと思うようになったんです。
そうして2023年という年は、そうした内面の揺らぎが、ようやく行動に結びついた節目のようなものでした。2016年から数えると撮影から離れていた7年という時間は、あまりにも長く、そしてあっという間でもありました。
撮影から離れていた7年間、写真のことを考える時間は何度もありました。再開しようと思ったこともありますが、そう簡単には動けませんでした。そして、時間の経過とともに、少しずつ、ある種の違和感が芽生えはじめました。“現実を捉える”という行為に、ある種の距離が生まれてしまったのだと思います。 やがて、そうした明確な構図や事実を映し取る行為そのものへの興味は、静かに薄れていきました。
次第に、自分の視線は「そこにあるもの」そのものではなく、その表面にふと現れては消える、揺れ動く像や境界のほうに引き寄せられていきました。水面や鏡に映る像は、現実を忠実に写しているようでいて、どこか少し違う、捉えようとするとすり抜けてしまうような、不確かな印象を残します。関心を寄せはじめたのは、そうした像の中に偶然立ち上がってしまった、実体のない出来事のようなものだったのかもしれません。
その像が持つ、確かにそこに「ある」ように見えながら、実際にはどこにも触れることができないという矛盾。そのあいだに滲むように立ち上がる微かな徴(しるし)や気配に、私は強く惹かれていました。カメラで捉えた像の奥に、言葉になる以前の感覚がふと差し込んでくる。その曖昧さや予兆のようなものが、私の視線をとらえつづけているのだと思います。
初期には、水面を撮影することに強く惹かれていました。例えば、橋の下に広がる深く幅のある川があるとて、向こう岸の方の水面に映る像に触れることはできません。ただ撮影したいだけでなく、“触れてみたい”という衝動が同時に起きているのです。でも水面は遠く、実際には手を伸ばしても届かない。一方で、鏡には触れることができます。像そのものには手を入れられませんが、表面や素材自体には指先で触れることができる。水面のような揺らぎを持ちつつ、触れることが許された素材。その感覚が鏡に惹かれ、撮影を始めるきっかけになったのだと思います。
撮影から距離を置いた時間のなかで、「見る」という行為を改めて見つめ直すようになりました。従来の“写す”という意識を超えて、「像の成り立ち」や「見えることの構造」へと関心が移っていったのです。そこには、これまで無意識に信じていた“見えているものだけが現実そのものだ”という感覚が揺らぎ始めた実感がありました。だからこそ、像の揺らぎ、実在と像の間にある何かに触れようとしたり、理解しようとしているのだと思います。
輪郭の曖昧な記憶や感覚。言葉や作品になる前の感触。そうしたものたちが、今もどこかで作品への意識を揺れ動かしてきます。形になる前の感覚や気配が、いつまでも消えずに残っているのです。現れては消えて、また現れてくる気配に、ずっと手を伸ばしてきたのかもしれません。まだうまく言葉にはできませんが、その感覚に触れることで、作品が少しずつ形を成してきているように思います。
今後は、水面や鏡といったモチーフから遠ざかるかもしれませんが、まだ、未完成の感覚を携えながら、新しい作品制作に向かえそうな予感があります。「見えているのに、まだ見えていないもの」。そんな曖昧な存在にそっと手を伸ばすようにして、静かに、でも確かに、制作を続けていけたらと思っています。
2025年7月12日 東京にて
菅原洋介