赤いポスト
郵便物を赤いポストに投函する、その瞬間が好きです。ポストの蓋を押し、ガチャって言う音が聞こえたと同時に、封筒が手を離れて、投函口の奥に吸い込まれていく。その瞬間、終わったと安堵します。
手紙を書いて、封をして、住所と宛名を確認し、最後に切手を貼るという一連の作業に区切りをつけることができます。もう自分の手にはありません。投函する瞬間は、少しだけ不安にもなります。間違いなかっただろうか?本当に届くだろうか?ポストに投函してしまえば、文字を直すことも、発送作業を取り消すこともできません。終わったという解放感と、少しの不安が、同時にあります。
Eメールやメッセージ関連のデジタルサービスは、これとは違います。送った後でも、削除できたり、修正できたりします。送信したのに取り消せる機能がついているものも出てきました。手紙のような、あの完全な開放感は、そこにはありません。
元に戻れないということが、あの解放感と不安を生んでいるのだとすれば、デジタルやインターネットの世界では永遠に修正できるということは、いつまでも終わらないということでもあり、また別の感覚があります。
Eメールやメッセージを送信した後も、取り消せるということは、まだ確定していないということ。もし間違って送信した場合でも、簡単に修正して再送信できます。終わりが来ないということです。
Eメールやメッセージと同じように、デジタルイメージも完成という区切りが、手紙ほどはっきりしません。ファイルは、パソコンさえあれば、いつでも開いて編集・修正でき、上書き保存できます。保存した後も、どこかでまた手を加えることができます。終わりを決めるのが難しい状況です。
手紙は、終わりがあるからこそ、解放感と不安を同時にくれます。デジタルのデータは、納得いくまで永遠に修正できるという利便性を手にいれる代わりに、終わらないからこそ、いつまでも手から放れない継続感を感じさせます。どちらがいいということではなく、ただ、終わり方が違うのだと思います。