そこに在るもの
今日音楽を聞いて感じたことです。完璧でない状態で、そこに在るものに、なぜか惹かれます。完璧なものは、もちろん素晴らしいですが、例えばまだ発展途中であるもの、未完成のものに魅力を感じる時があります。
はっきりと理由は説明できませんが、仮説の1つとして、存在そのものを、よりリアルに感じられるからかもしれません。完璧なものはどこか遠くにあり、自分とは無関係な存在として感じているような気もします。
例えば、完璧に整った歌声より、少し揺れる歌声に、心が動くことがあります。完璧なスピーチより、詰まりながらも自分の言葉で話す人の言葉に心が動くことがあります。ここで一つの疑問が浮かびます。そもそも、何をもって『完成(完璧)』とし、何をもって『未完成(不完全)』とするのか。その基準は、実はとても曖昧です。
話す人にとっての完璧の基準は、原稿から大きく逸脱することなく、また淀みなく話すことでしょう。でも聞く人にとっての完璧の基準は違うはずです。本人は完璧に話したつもりでも、何も心動かなかったら聞いて時間を損したと感じることもあるはずです。
聞く側は技術的な完成度だけではなく、話す人がその場でどれだけ本気で言葉を発しているか、そして内容に価値があるかを見極めながら、スピーチそのものの価値を判断しているのかもしれません。
洞察をさらに進めると、本気で言葉を発していて、内容も聞くに値するような価値があって、さらにスピーチの技術的な完成度が高かった場合は、さらに魅力が増すはずです。冒頭で述べた、完璧だから自分とは無関係な存在とは感じるはずがありません。つまり、重要なのは完成、未完成で分類して判断することが間違っているのかもしれません。
今日聞いた揺れる歌声も、スピーチの時の詰まる言葉も、未完成だから心が動いたのではなく、そこに、あるべきものが在ったから。本気で伝えようとする何かが在った。ただ、それだけです。
それでも、まだ途中のもの、未完成なものに心が動くのは、確かです。それは、自分個人の嗜好なのか、そもそも人間が持つ性質なのか。理由は、まだ分かりません。ただ、惹かれる、という事実だけは、確かに在ります。