深夜の撮影現場
昨日の深夜、近所でドラマの撮影が行われていました。結構大所帯の撮影チームでいつもの静かな夜の街の一画がざわざわとしていました。撮影チームがカメラを向けている方向をみてみると、毎日のように通っている何気ない道です。
大型照明で明るく照らされ、役者が芝居をしているのが近くで見えました。自分にとっては完全に非日常の光景ですが、あそこにいた人たち全員にとっては、仕事という日常です。同じ場所で、日常と非日常が分かれている。
自分も撮影をします。近所もかなり撮り続けています。ただ、あの通りは、一度も撮ったことがありません。理由ははっきりしませんが、退屈な風景の一部で、ただ通り過ぎるだけの道でした。
その道が、撮影の舞台に選ばれている。自分が撮る対象として見ていなかった場所に、撮る理由を見つける人がいる。同じ道を見て、判断が分かれる。
撮ることは、作ることというより、選ぶことに近いのかもしれません。世界の中から、これ、と決める。決めた時点で、大半の作業が終わっています。あとはシャッターを切るだけです。
ただ、選ぶという行為も、少しずつ特別ではなくなってきている気がします。インターネット上には、すでに無限のイメージがあります。AIも、リアルタイムで大量にイメージを作り続けている。選べる対象が、増え続けている。カメラを使って撮影してもいいし、ネット上のイメージを使ってもいい。AIによる生成画像を使ってもいい。選択の敷居が限りなく下がり、選ぶことが誰にとっても当たり前になったようにも感じます。
そういう時代にあって、自分の感覚を振り返ってみると「選ぶ」だけで満足できる時とそうでない時があるようです。選んだものに、痕跡を残したくなる。理由はよく分かりませんが、ただ見て選ぶだけでは、なんだか自分の実感として何かが残らない気がするのです。