YOSUKE SUGAWARA
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Not the shooting. What comes after.
Posted on July 26, 2026 / Journal
画面の前
画面の前
画面の前

画面の前

普段生活している中での当たり前の話です。太陽と月はほぼ同じサイズに見えます。毎日そう見えているから、疑ったこともありませんでした。日食が起きるのも、ふたつの大きさが空でぴたりと重なるからです。

でも、事実は全然、違うみたいです。

太陽の直径は約139万km、月は約3,474km。太陽のほうが400倍も大きいのです。ただ、地球からの距離もちょうど400倍違います。太陽は約1億5,000万km、月は約38万km彼方にあります。大きさの比と、距離の比。そのふたつがたまたま一致しているから、空では同じ大きさに見えるのです。

つまり「同じに見える」のは、条件がたまたま揃った結果でしかなく、大きさが同じなわけではありません。私達が立っている場所から、そう見えているだけです。

しかもこのバランスは、永遠じゃありません。月は毎年3.8cmずつ、地球から離れていっています。将来的には日食という現象は地球から観測できなくなると予想されています。

この3.8cmという数字の測定には鏡が使用されています。1969年、アポロ11号の宇宙飛行士が、月面に最初の反射鏡を据えました。その後、アポロ14号・15号がさらに反射鏡を追加しています。地球の天文台からレーザーを撃ち、その鏡が光を跳ね返します。光の速さは分かっているから、往復にかかった時間を測れば、地球と月の距離が割り出せるのです。月レーザー測距(Lunar Laser Ranging)と呼ばれるこの観測は、半世紀以上たった今も続いています。

太陽と月が同じ大きさに見えるのが、たまたま地球にいる人間の都合であるように、何を見て、何を作るかにも、いつも自分の都合がついてまわります。作るものには、どうしても自分が残ってしまう。

では、その自分を、できるだけ消してしまえたら——そう考えた人がいます。

例えばマルセル・デュシャンがレディ・メイド作品を作ったとき、彼は網膜的な美術への反抗として、自分の好みや趣味を消そうとしました。平凡で、なんの変哲もない日用品を選び、それが本来もっている実用的な機能さえ奪おうとしました。美しさにも醜さにも惹かれない、無関心の一点で選んだ、と彼は言います。

でも、彼の作品集を見ていると、私にはどうしても、彼が残っているように見えます。そもそも、彼にとって無関心なものが、他の誰かにとっても無関心とは限りません。何に無関心でいられるかということ自体が、その人の都合によって決まっているからです。消そうとしたはずのその選択に、彼の都合が出てしまっている。むしろ、そこに彼の仕事や魅力があったのかもしれません。

私が撮る写真も、作るイメージも、同じことです。世界の純粋な記録写真ではなく、私がその位置から、その瞬間に見た姿でしかありません。自分の都合がベースにあります。最近だと東京の街を撮影したデジタルデータを、デスクトップで操作しています。街で撮る。でも、私にとっての『見る』という作業が行われているのは、むしろその後です。カメラで撮影することも大事ですが、画面の前でデータと向き合い、操作すること。そこに、今の私の観測地点が移りつつあります。